2001年11月5日〜11日 6泊7日 80歳の姉との二人旅
第2日(11月6日 水)晴れ
今日はソウルで行事がありタクシーが拾えなくなるかもしれないと言われ、早めの7時半にタクシーを呼び出発した。あっという間に着いたソウル駅構内の食堂でゆっくりと朝食をとることができた。
[セマウル号で木浦へ]
白い待機線の前で時間待ちをしていると10分前ごろ改札がありホームに下りセマウル号に乗る。昔の上野駅では構内の待機所に並んでからホームに誘導されたことを思い出した。8両編成、9時5分発。前回はムグンファ号を使ったので今回はセマウル号にしたのだが、期待していたほどの豪華さは無い。かえって優等高速バスに乗った方が景色ももっと楽しめたのではないだろうか。
肘掛から出てくるテーブルも小さくて使い物にはならない。メリットは大と小のトイレが分かれているくらい。ときおり車内販売が通る。乗客はあれよあれよという間にどんどん減って、羅州をすぎるとこの車両には私たち二人だけという淋しさ。ただ、高速バスターミナルと違い木浦の街中まで乗り込めたのはメリットであった。
[心強い味方チャン・ファギンさん]
さっそく駅内のインフォメーションで、港から蘆花島へ渡る船便を調べてもらうのだがさっぱり要領をえない。そこで、日本語のわかる市の総合案内所に電話をまわしてもらうと担当のチャン・ファギンさんはこまめに情報を集めてくれた。しかし、その情報の行き着いたところはなんと、とうの昔に航路は廃止されているという無残な結末だった。チャン・ファギン女史は莞島からの便はあるだろうと電話してくれたのだが・・やはりわからないのでとにかく近くの莞島まで行ってみては・・ということになった。もっと情報を集めてホテルに電話してあげますよ、困った時にはいつでも、夜でも私の携帯にかけてくださいと親切な言葉を添えてくれたのは心強かった。
※チャン・ファギンさん i:2−273−0536 携帯:0186185279
その言葉に意を強くして今夜は木浦一という西安ビーチホテルに宿を奮発した。ユタル山を西に回りこむと、遊覧船の発着所やプールやアミューズメント施設に囲まれた西安ビーチホテルがあった。ホテル内で日本語が使えるのは日本のリッチな客が多いと言うことだろう。
ラウンジでは日本の団体さんが講師を囲み歴史の話に耳を傾けていた。マジに真面目だなと思って見ていたが、翌朝になって外に待機していたバスを見て保育園や幼稚園の先生方だとわかった。ところが、ここに小うるさい中年の女性が餌を狙う廊下トンビのように行き来している。彼女は日本語と韓国語をあやつり、旅行者たちのおこぼれに預かろうとしているかのようで嫌な予感がした。
[廊下トンビの横車で混乱]
一風呂浴び港のフェリーターミナルに行きたいからととフロントにタクシーを呼んでもらった。ホールに下ると夜景を楽しもうとする団体さんたちも集まってきた。ボーイに案内されてタクシーに乗り込み、いざ出発と言うところへくだんの廊下トンビがやってきた。窓を開けてタクシーの運転手にいろいろと指示している。そのときも小うるさいお節介ババアだナと感じた。
夕暮れの海沿いの道を街へ向かってタクシーは走り出したのだが・・フェリーターミナルを過ぎてどんどん走って行く。運転手にこれでは違うではないかと言っている(つもりな)のだが、運転手はまったく無視して走りつづける。そこで、車を止めさせて地図を示すが目も向けずに納得する様子もなくまた車を走らせて行くのだ。腹を決めて木浦駅へ、木浦駅へと大声で強硬に指示した。さすがに運転手もシブシブ駅へと車を向けた。そして途中からホテルのフロントへ電話を入れさせた。どうやら、あの廊下トンビが私たちを団体一行と勝手に判断し、運転手に彼ら団体の夜景観光のルートを入念に指示したものらしい。運転手も不機嫌で10000wを受け取っただけでお釣りを出そうともしない。ターミナルまではほんの3000w、ぐるっと走って木浦駅までだって600wそこそこなのだ。文句を言おうとしたが連れている姉のことも考えて今回は胸に収めておくことにして我慢した。本当に余計なお節介なババアだった。おかげで気分が損なわれたことおびただしい。
[満月の多島海の夜]
気分なおしにホテルで冷蔵庫のビール、つまみなどを次々に開ける。海の上には月が昇り、時おり港を出入りする船の明かりがすべるように静かに海の上を流れていく。天気の続くことを祈り床についた。
※ セマウル号 ソウル−木浦 26,700×2= 53,400w
新安ビーチホテル宿泊+夕食+ビールなど各種 =152,500w